1. 有職彩色絵師の視座:ラグジュアリーの「裏面」から世界を見る
林氏は、人間国宝・林駒夫氏の長女として生まれ、有職雛人形の小物・貝桶・貝覆・檜扇などを彩色する 有職彩色絵師として歩んできた。分業制度のもと「籠飼」に近い環境で、仕事先を口外できないほど 閉じた職人社会に属しつつ、独立後は大和絵技法を用いた有職作品を制作し続けている。
第7回要旨から見えるキーワード
- 分業制の中での匿名性の高い職人仕事と「籠飼」に象徴されるクローズドなシステム
- 伊勢湾産の蛤へのこだわりなど、素材に触れることでしか分からないリアリティの重視
- 「自分を消し、作品を主役にする」という職人としての矜持と、発信を抑える独自のスタンス
- 雛道具・檜扇・犬箱・張り子などに込められた方位・護符・子どもの安全の意味
- 長刀鉾の鈴に象徴される、数百年単位で続く時間の層への感受性
- 「美とは厳しく、線一本の正解を見極めること」であるという厳格な美意識
これらは、ブランド側から見れば「裏方」に位置づけられがちな要素であるが、 実はラグジュアリービジネスの真価を決める中枢である。以下では、職人の視座を軸に、 ラグジュアリーの再定義を試みる。
2. 素材と「触れること」:オーセンティシティ教育としてのラグジュアリー
2-1. 触らなければ分からない:マテリアル・リテラシーの重要性
林氏は「触らないと絶対にわからないことがある。触ると、次から偽物が見破れるようになる」と述べる。 伊勢湾産の蛤を用いた貝桶・貝覆の制作では、薄さ・強度・重なったときの音にこだわり、 手で確かめながら素材を見極めていく。この身体化された知覚こそが、真贋を見抜く力の源泉である。
これは、ラグジュアリービジネスが顧客に提供すべき価値を、「高価な商品」から 「本物を見分ける眼と手を育てる教育」へと拡張することを意味する。
インプリケーション:マテリアル・リテラシーを組み込んだ顧客体験
- オンラインでは伝わりにくい「重さ・音・手触り」を、店舗やサロンで徹底的に体験させる。
- 職人が素材を選別するプロセスを公開し、顧客にも実際に触れてもらう「真贋体験プログラム」を設計する。
- 「触れなければ分からない」要素を、デザイン上の弱点ではなく、ラグジュアリーの条件として位置づける。
顧客向けに、革・金属・染織・紙などの本物/模造品を並べ、職人とともに触って当てるワークショップを定期開催する。 購入前の「勉強会」として位置づけることで、ブランドは単なる販売者ではなく、 本物を見極める感性を育てる「師」として認識されるであろう。
3. 「名を消す」職人性とブランドのエゴマネジメント
3-1. 作者よりも物が語るべきだという思想
林氏は、「自分の存在を消し、作品に命を吹き込むこと」を職人の使命とみなし、 アーティストステートメント的な自己主張を避ける。発信を控えることで、かえって仕事が舞い込むとも語る。 これは、現代のSNS中心の自己ブランディングとは真逆の態度である。
ラグジュアリービジネスにとって、この姿勢は「ブランドのエゴをどこまで引き算できるか」という問いになる。
- ロゴを目立たせるのではなく、素材・線・バランスによって静かにブランドらしさを感じさせる。
- クリエイターの「顔」を出すよりも、作品そのものの「語り」を前景化する展示方法を採用する。
- SNSを前提としない販売チャネル(紹介制サロン、手紙による案内など)を部分的に残す。
ロゴ刻印を一切用いず、素材と仕立てのみで勝負する「無銘コレクション」を設定する。 カタログにはブランド名と最低限の説明だけを記し、作品の造形と言葉少なさ自体を価値として提示する。
4. 色と護符性:装飾を超えた「守り」としてのラグジュアリー
4-1. 有職の六色と子どもを守る赤
林氏は有職の配色について、「五色」とよく言うが、京都の有職では桃色が加わった「六色」であり、 赤は子どもの道具に多用されると述べる。子どもが最初に認識するのが赤であり、母の口紅の色でもあること、 さらに厄除け・病除けの力があると信じられてきたことが理由である。
また、青=東、赤=南、西=黒、中央=黄という陰陽五行にもとづく色と方位の対応が紹介され、 宮殿や鳥居を赤くするのも、色の力で人を守るプリミティブな配色だと説明される。
| 色 | 象徴・意味 | ラグジュアリーへの翻訳 |
|---|---|---|
| 赤・桃 | 子どもの視認性・母性・厄除け・病除け | キッズラインや「守り」のアクセサリーに限定して用いるシグナルカラー |
| 青・緑 | 東・春・成長・清浄 | 新生活・キャリア始動期向けコレクションの基調色 |
| 黒 | 西・秋・終焉・重さ | アーカイブ・フォーマル・追憶を扱うラインへの配色 |
| 黄 | 中央・安定・大地 | ブランドの基幹プロダクトに用いる「中心色」 |
ここから導かれるのは、色を「可愛い/おしゃれ」といった嗜好の問題ではなく、 持ち主を守るためのコードとして設計するという発想である。
ブランド全体で、各色に明確な「守り」の意味を定める。 例えば赤は〈健康と生命力〉、青は〈判断の冷静さ〉、黄は〈家族と経済の安定〉など。 商品タグや証明書に、その色に込めた「祈りのテキスト」を添えることで、 装飾を超えたラグジュアリーの物語を形成する。
5. 「変わらないもの」としての美:長期視点のブランドガバナンス
5-1. 800年の鈴の音と、線一本の美
長刀鉾の真木部分に吊るされた鈴は、800年前から続く伝統であり、実際に鳴っている鈴も 300年ほど経っているとされる。その音を聞くことを「とても嬉しい」と林氏は語る。 そこには、数百年にわたって音を維持してきた「仕事」の重みへの敬意がある。
同時に、美とは「なんとなく綺麗・豪華」ではなく、日本の美の基準というギリギリのラインを 一本の線で見極める行為であるとし、「美はずっとあるもの。それが見えているかどうかの問題だ」という 生け花家・歌舞伎俳優の言葉を引く。:contentReference[oaicite:9]{index=9}
ラグジュアリービジネスにとって、これは「変わらない美のラインを、何世代かけて守るか」 というガバナンスの問いである。
- 意匠の刷新は行っても、「絶対に変えない線」「変えない比率」をブランドとして定義する。
- 短期のトレンドに合わせて造形を揺らすのではなく、「いつの時代にも通用する緊張感」を判断基準とする。
- 数十年・数百年後に見ても破綻しないかどうかを、評価軸としてクリエイションレビューに組み込む。
6. 「子どもを思う気持ちは変わらない」:ユニバーサル感情への接続
林氏は、「人の考えることは千年経っても変わらない。子どもを思う気持ちは変わらない。 それが不変の美の要素の一つだ」と述べる。:contentReference[oaicite:10]{index=10} 雛道具や張り子、お守り的な配色には、子どもを守ろうとする大人の願いが過剰なまでに詰め込まれている。
これは、ラグジュアリーが狭義の富裕層趣味ではなく、普遍的な感情への窓口であることを示している。
- 商品を「自分のための贅沢」ではなく、「子や次世代に何を残すか」という文脈で語る。
- 出産・成人・結婚・長寿など、人生の節目における「祈り」と「守り」の文脈でプロダクトを設計する。
- 親や祖父母のストーリーを記録できるメモリアル機能(刻印・手書きメッセージ)をサービスに組み込む。
7. 作品が時代を超えて話しかける:ヘリテージとアーカイブの再定義
林氏は「500年前の作品でも、ここが見せ場なのだと良く分かる。 作者本人と会えなくても、物を通して会話ができる。博物館のケースの中から誰かに喋りかけられるのが理想だ」と述べる。 つまり、作品は時間を超えた対話メディアであり、職人は未来の誰かとの会話相手を想定して制作しているのである。
ラグジュアリーブランドのヘリテージ/アーカイブ戦略も、この視点で組み替える必要がある。
- 過去の名品を保管するだけでなく、「未来の鑑賞者に何を語りかけるか」という視点からアーカイブを編集する。
- 現在の職人・デザイナーが、未来の鑑賞者に宛てた短いメッセージを残し、作品とともに保管する。
- ミュージアム展示の場で、「物が観客に話しかける」ようなキュレーション(光・距離・解説の抑制)を設計する。
8. ラグジュアリービジネスへの戦略的インプリケーション
8-1. ブランド戦略レベル
- 職人の匿名性・沈黙を尊重しつつ、「名を消す美学」をブランドの核に据えること。
- 色・素材・線に関する不変の基準を定義し、短期トレンドに流されない判断軸を持つこと。
- 「守り」「祈り」「子どもを思う気持ち」といった、普遍的感情をブランドストーリーの中心に据えること。
8-2. 顧客体験・サービスレベル
- マテリアル・リテラシー教育を組み込んだ体験プログラムで、本物を見極める眼と手を育てること。
- ロゴに頼らない「サイレント・ラグジュアリー」ラインや、非SNS的な販売チャネルを設けること。
- 人生の節目や世代継承に寄り添うカスタマージャーニーを設計し、「長く付き合える相手」としての関係を築くこと。
8-3. 組織・ガバナンスレベル
- 分業制の中で埋もれがちな職人の技術を可視化しつつも、過度なスター化に陥らない仕組みをつくること。
- 弟子入り・教育・継承のプロセスを、短期の収益性ではなく「100年後のブランドの姿」から逆算して設計すること。
- アーカイブを「過去の記録」ではなく、「未来との対話のための資産」として管理・投資すること。
9. 結語──ラグジュアリーを「職人の眼」に引き戻す
林美木子氏の語りは、ラグジュアリーを華やかな消費の表舞台から、 蛤を選ぶ指先・線一本を見極める眼・名を消す矜持・子どもを思う願い・ 数百年を超えて鳴り続ける鈴の音といった「裏面の現場」へと引き戻すものである。
もしラグジュアリービジネスが、この職人の眼を自らの標準として採用するならば、 ブランドは〈希少な高額品の供給者〉から、〈本物を見分ける感性と、長く生きる美を社会にインストールする制度〉へと変貌しうる。 第7回研究会で語られた職人のまなざしは、その方向転換のための羅針盤なのである。