Art in Business 研究会
第4回研究会 平安芸能と貴族社会

「詠う」文化は、
ラグジュアリービジネスをどう変えうるか

平安時代の芸能と貴族社会は、文字・歌・方位・季節・法制度が絡み合った巨大な「総合芸術」であった。 友吉鶴心氏の講演は、漢字/仮名と歌、東西南北の世界観、大宝律令・延喜式における芸能の位置づけ、 明治維新以降の文化変容、多民族性と女性の役割を縦横に語り、日本文化の本質を照らし出すものである。 本ページでは、その要旨を手掛かりに、ラグジュアリービジネスへのインプリケーションを体系的に論じる。

テーマ:「平安時代の芸能と貴族社会」|講師:友吉鶴心 氏(琵琶奏者/芸能考証)要約へのビジネス的解釈

1. 平安芸能を「ラグジュアリー・システム」として読みかえる

講演要旨によれば、日本の伝統芸能は、文字(真名・仮名)、歌(詠・唄・梵唄)、方位・季節、 そして大宝律令・延喜式といった法制度が一体となった総合体系として存在していたのである。 そこには、現代のラグジュアリーブランドが目指すべき「文化・美・制度・生活」の統合モデルが見て取れる。

平安芸能システムから見える構造

  • 文字 × 声:漢字・ひらがな・カタカナごとに読み・節回しが変わる「文字のラグジュアリー」
  • 方位 × 季節:東西南北と四季が音楽・儀礼・食にまで貫入した宇宙的世界観
  • 法制度:大宝律令・延喜式に芸能の職分・報酬・税制が明記された「制度化された芸能」
  • 多民族性:大陸文化を取り込みつつ日本の身体と感性でオリジナル化したハイブリッド文化
  • ジェンダー構造:伊勢神宮・大嘗祭に見られる女性性の中核的役割

ラグジュアリービジネスにとって、この構造は、 「商品」レベルではなく「文明システム」レベルでブランドを設計する必要性を示唆している。 すなわち、単一のコレクションや店舗ではなく、言葉・空間・制度・ライフスタイルを貫く総合的な美意識の構築である。

2. 文字と歌の関係性:ブランドランゲージとサウンドブランディング

2-1. 「詠」「唄」「梵唄」が示す声のラグジュアリー

友吉氏は、「詠」「唄」「梵唄」という漢字の違いが、それぞれ異なる歌の在り方を示していることを解説する。 「詠」は言偏に永いであり、朗々と詠み上げる朗詠の世界、 「唄」は口へんであり、読み物に節を付ける歌、 「梵唄」は仏教儀礼における声明である。 文字の選び方そのものが、音の質・時間感覚・聴き手との関係を規定しているのである。

ここから導かれるラグジュアリーへのインプリケーションは明快である。

Application:詠むブランドコピー

たとえば、ハイジュエリーブランドが新コレクションに古典和歌に由来する名を付し、 店舗ではその歌を朗詠として流す。ウェブサイトにはテキストだけでなく朗読音声を併載し、 「読む/聴く/詠む」の三層でブランドランゲージを体験させる。

ブランドランゲージ サウンドブランディング 古典和歌

2-2. 百人一首的「言葉の永続性」とアーカイブ戦略

講演では、美しい文字表現が歌と結びつき、百人一首のように言葉が永く残る仕組みが論じられる。 これは、ブランドメッセージが一過性のキャンペーンで消費されるのではなく、 長期的に引用されうる「現代の和歌」として設計されるべきであることを示唆する。

3. 東西南北と季節感:空間・時間を編むラグジュアリー体験

3-1. 「東西南北だけで音楽はできる」という発想

友吉氏は、日本・アジアの音楽は根本的には「東西南北」だけで構成できると述べる。 日本文化の基盤には、方位と季節が深く刻み込まれており、除夜の鐘や大嘗祭、 おせち料理の配置など、多くの儀礼が宇宙の秩序と調和するように設計されているのである。

ラグジュアリービジネスでは、これを「最小限のコードから無数の体験を生成する」フレームと捉えうる。

東西南北・季節コード 文化的意味 ラグジュアリーへの応用
東(春) 始まり・若芽・朝日 新作発表、若手クリエイター起用、淡い色調のコレクション
南(夏) 成長・勢い・光 屋外イベント、フェスティバル型キャンペーン、鮮烈な色彩
西(秋) 成熟・余韻・黄昏 アーカイブ公開、熟成素材、ストーリーテリング重視の展示
北(冬) 静謐・内省・準備 パーソナルサービス、メンテナンス、プライベートサロン体験

3-2. 「秋に春の曲を奏する」時間の重ね方

本来の雅楽では、春の曲を秋に奏することがあり、それは「秋に感謝しつつ、来る春を豊かに思う」日本人の時間感覚の表現であったとされる。 これは、一点的な「今ここ」の季節ではなく、過去・現在・未来を重ね合わせる時間設計である。

4. 大宝律令・延喜式:制度としてのラグジュアリーを構想する

要旨によれば、大宝律令や延喜式には、芸能の職分・報酬・税の免除条件などが詳細に記されており、 芸能が国家制度に組み込まれていた。年寄りは「木を植えること」すなわち「水を豊かにすること」を 税とすべきだと定められた条文も紹介されている。

ここには、現代ラグジュアリービジネスが直面する「文化と税制・法制度の関係」を捉え直すヒントがある。

制度レベルのインプリケーション

  • 文化インフラとしての位置づけ:ラグジュアリーブランドを、単なる嗜好品ではなく「文化インフラ」として制度設計に組み込む発想。
  • 税とサステナビリティ:「木を植えること」を税とした発想に倣い、環境再生・文化財保全への投資をブランド課税の代替として提案する余地。
  • 職分の可視化:職人・アーティスト・販売者の役割と報酬を、現代版延喜式として透明化することで、文化的正統性を高める。
Regenerative Luxury Charter

複数のラグジュアリーブランドが共同で「現代版延喜式」とも言うべきチャーターを策定し、 売上の一定割合を森の再生や水源涵養、伝統芸能の支援に充てる。そのルールと成果を、 歴史的法典になぞらえた美しい書物として公開する。

サステナビリティ 制度設計 文化インフラ

5. 多民族性と自由/統一:インクルーシブ・ラグジュアリーの構図

友吉氏は、日本人はそもそも多民族の混血であり、雅楽や芸能も朝鮮・中国など外来文化の影響を受けつつ、 日本独自の自然体質と精神性によってオリジナル化されてきたと述べる。 一方で、宮中や都の芸能では統一性が求められ、個々の声質や読み方の自由とのあいだに緊張関係があったことも指摘される。

これは、ラグジュアリーブランドが直面する「グローバルな一貫性」と「ローカルな多様性」の問題と重なる。

Hybrid Heritage Collection

ひとつのアイテムに、日本の染織技法と、アジア各地の文様、欧州のテーラリングを重層的に組み合わせ、 その「多民族性」を積極的に物語化する。平安貴族が唐物を取り入れつつ和様化した歴史を、 現代のハイブリッド・ラグジュアリーとして再演するのである。

インクルーシブ ハイブリッド文化 グローバル戦略

6. 女性と日本文化:ブランドのジェンダー観と権威の再構築

要旨では、伊勢神宮の御神体や大嘗祭の陰陽のシンボル、女性天皇の歴史などを通じて、 日本文化における女性の重要性が強調される一方、江戸以降の朱子学・儒教の影響が女性の地位を歪めたと考察されている。

これは、ラグジュアリービジネスにおけるジェンダー表象・リーダーシップ・顧客関係を問い直す契機である。

7. 歴史的思考力と「文化×経済」の再統合

友吉氏は、現代日本における「音楽・芸能に関する歴史的思考力の欠如」と、 「文化と経済の分断」を強く批判する。かつては環境・生き方・経済感覚と芸能が密接に結びついていたが、 現代の能・歌舞伎・雅楽は、子どもの頃に見ていたものとは「何かが違う」と感じていると述べる。

ラグジュアリーブランドにとって、これは単なる文化批評ではなく、 「歴史的思考力を備えた経営」への要請であると読める。

8. ラグジュアリービジネスへの戦略的インプリケーション

8-1. ブランド戦略レベル

  • 文字・声・方位・季節・法制度を束ねた「総合芸術としてのブランド像」を明確化すること。
  • 多民族性と女性性を、ブランドのコア・アイデンティティとして積極的に位置づけること。
  • 歴史的思考力を組織能力として内在化し、短期主義から脱却すること。

8-2. 体験・サービスレベル

  • 朗詠・聞香・雅楽に学び、「静けさ・余白・時間の重ね」を重視した顧客体験を設計すること。
  • 東西南北・四季のコードを用いて、都市・店舗・オンライン空間を総合的に編成すること。
  • ライフイベントや季節儀礼と結びついた「反復可能な儀礼」としてサービスを位置づけること。

8-3. ガバナンス・制度レベル

  • 大宝律令・延喜式にならい、芸術・職人・環境へのコミットメントを明文化した「ブランド憲章」を持つこと。
  • 税や寄付を「文化・自然への投資」として捉え直すレジメを、ステークホルダーと共有すること。
  • 文化政策・都市計画との連携を深め、ブランドを社会インフラとして機能させること。

9. 結語──「詠う」ラグジュアリーへ

平安時代の芸能と貴族社会は、ラグジュアリーを「きらびやかな消費」ではなく、 言葉を永らえさせ、季節と宇宙のリズムに調和し、法制度と生活を結ぶ総合的な営みとして示している。

そこから学ぶべきは、表層的な和風演出ではなく、 文字・声・方位・季節・法・多民族性・ジェンダーを貫く深い設計である。 ラグジュアリービジネスがこのレベルで自らを組み立て直すとき、 ブランドは単なる「商品名」ではなく、未来に向けて詠われ続ける一首の歌となるのである。